入院患者 三 上 於 蒐吉訳 私の 友 シャ— ロック • ホ— ムズ 独特な 人格 をよ く 出 している お 話 をしょう と 思って、 たくさんの 私の 記憶 を さがす 時、 私 はいつ も あらゆる 方面から 私の 目的に 添うよう な 話 を さがし 出そうと して 苦労す るので ある _ なぜなら、 ホ ー ムズ がその 心理 解剖に 全力 を 注いだ と 思われる ような 事件、 あるいは また 犯罪 捜査に 特別な 方法 を 見せた と 思われよ うな 事件 は、 事実に おいて、 みなさんに お話しても つまらない だろうと 思われる よ うな 簡単な 普通な 事件が 多い の だ。 また その 反対に、 事件が かなり 特異な もので 劇的な もの を 彼が 捜査した 場合 も あるの だが、 そうした 時には しばしば、 彼 は 彼 の 伝記作者 として 私が 話して ほしいと 思って いるに も かかわらず、 何も 話して くれなかった ので ある。 私が 『真紅の 研究』 と 題して 集めた 小事 件、 また グロリア- スコット 号の 消失 事件と 共に あつめて ある もの、 そう した もの は、 彼の 研究 を 永遠に 悩ます であろう 所の 彼 の 両面、 —— シルラ と 渦巻 (訳者 註 —— ィ タリ— のメッ シナ 海峡に は シルラ と 称する 六 頭の 怪物と 大 渦巻と あ りて、 その 海峡 をす ぐる 船 は その 二つのう ち、 いずれ かの 一 つに 必ず 捕われた リと 云う) —— の 好 見本で あ る。 ところで これからお 話しようと 思って いる 事 件に ついては、 実は ホ —,. ^スは それほど 充分に 活躍し てはいな いの だ。 が、 しかもな お、 その 事件の すべて のつな がり は、 彼の 伝記 的 物語から、 これ を 除外す る ことが どうしても 出来ない ほど、 特異な ものな ので あ る。 それ は 十月の 陰鬱な 雨の 日であった。 私達 は 鎧 戸 を 半分と ざして、 ホ— ムズは ソファの 上に 横 わりながら、 その 朝 郵送され た 一 通の 手紙 をく リ 返し 読んで いた。 —— 私 は インド 勤務のお かげで、 寒さより は 暑さの ほ うがし のぎよ く、 九十 度ぐ らいの 温度 は 苦しく はな かった。 —— しかし 読みつ づけて いた 新聞 はつ まらな かった。 議会が 初 まっていた。 人々 は みんな 町から 出 かけて いってい たが、 私 は 二 ユウ. フォレスト 森林の くさはら 中に ある 草原 や、 サ ウス • シ ー の 海岸に ある 砂浜に あ こがれて いた。 帳尻の 合わ なくなった 銀行 勘定が、 私 に 祝祭日 をのば さなくて はならない ようにして しま つ たので ある。 —— けれども ホ ー ムズに は 田舎 も 海も少 しも 魅力 を 持って はいなかった。 彼 は 百万の 大衆の 真 ただ 中に 寝ころんで、 空想と 推理の 糸 を 自由自在に ひ ろげ たりた どったり して、 いろいろな 未解決な 問題に 暗示 を 与えたり する ことの ほう を 愛して いた。 自然の 鑑賞 力、 そう 云う もの は 彼の たくさんの 才能の 中に も 座 をし める こと は 出来なかった の だ。 だから 彼が 田舎 へ 行く と 云う こと も、 結局 は 都会の 犯罪 を さがす ため、 田舎の 彼の 兄弟の 跡 をつ けて 行く と 云うよう な 場合に すぎない のであった。 私 は、 ホ —,. スが しゃべ りすぎ ている と 云う ことが 分かった ので、 無味乾燥な 新聞 を 側らに ほうり なげて、 椅子に うずまって 黙想に 耽った。 と、 ふいに ホ— ムズ の 声が、 私の 意識 を 呼び さました。 「君の 云う 通リ だよ、 ワトソン」 彼 は 云った。 「それ はこの 問題 を 解決す るのに は、 ちと 無理な 方法 のよう だね」 「最も 不自然な 方法 だよ」 私 は 叫んだ。 が、 その 時、 私 は、 彼が 私の 心の 一番 奥に ある もの を ちゃんと 感じて いると 云う ことに 気が ついた ので、 私 は 椅子の 上に 起き直り、 思わず 驚きの 目 を 見張って 彼 を 見詰めた。 「どうしたと 云 うんだい ホ— ム ズ?」 私 は 云った。 「僕 は 思い も よらなかった よ、 こんな こと は …… 」 彼 は 私の 驚愕 を 見て 心から 笑った。 「君 は、 僕が、 もうだい ぶ 前に、 ポ— の 書いた 写生文 の 一 つの 中に ある 一 節 を、 読んだ こと を 覚えて る だろ う。 あの 中に、 用意周到な 推論 者が、 その 友達の 腹の 中の 考え を 見抜いて それに 従う 所が 書いて あつたが、 この場合 も それと 同じ ことなんだ。 —— 僕に 云わせれ ば、 僕 は 君が 怪しい と 疑って いるよう な 癖が いつも あ るんだ よ」 「いや、 そんな こと はない よ」 「たぶん、 これ は 君の 言葉から じ やなく つて、 君の 目 つきから 気づ いた ことなん だろうと 思う の だけど、 ヮ ト ソン 君。 —— 君 は 今 新聞 を ほうり なげて、 何 か 考え 出したろう。 それ を 見た 時、 僕 は それに 気がつく こと が 出来たん だ。 そして 結局 君の 意見に 同意す る ことに なつたん だよ」 けれども 私 はま だ 満足し なか つ た。 「今、 君 は、 ある 推理 家が、 彼が 注意して 見守って い る 一 人の 男の 動作から、 彼の 結論 を 引き出し たと 云う 例 を ひいて いたね。 もし 僕の 記憶に 間違いがない とし たら、 たぶん その場合には、 その 相手の 男 は 石に つま ずいたり、 星 を 眺めたり 何 かそん な こと をした はず だ ところが 僕 は 静かに 僕の 椅子に 腰かけて いたの だけれ ど、 でも、 何 か 手がかりになる ような もの を、 君に あ げる ことが 出来た のか しら?」 「君 は 故意に ゆがめて 考えて いるよ。 —— 一体 人間の 顔と 云う もの は、 感情 を 現わす 道具と して 人間に 与え られ たもの なんだ。 そのうち でも 君の 顔なん か は、 最 もよ く 感情 を 現わす 顔なん だよ」 「と 云う と、 つまり 君 は、 僕の 顔から 僕の 思索の 筋み ち を 読んだ と 云う わけなん だね」 「そうだ、 君の 顔から、 と 云う よりも 特に 君の 目から だ。 —— 君 は どんな 風に して 君の 瞑想が 始まった か、 もう 一 度 思い出して くれる こと は 出来ない かしら?」 「そうだね、 出来ない な あ」 「それなら 君に 話して 上げよう。 —— 君 は、 新聞 を ほ うり なげてから、 —— 実 を 云えば 君が そうした からこ そ、 僕 は 君に 注意した ので は あるが、 ぼかんと し たような 表情 をして、 しばらく 坐って いた。 その 時 君 リ ようがん の 両眼 は、 新しく 額縁 〔# 「縁」 は 底本で は 「椽匕 に 入 れたゴ ルドン 将軍の 絵の 上に じっと そそがれ ていたろ う。 そして 君の 顔 を 見る と、 たしかに 何 か 瞑想して い るら しい 表情の 流れの あるのに 気がつい たんだ。 —— - やがて 君 は、 君の 本棚の 上に あるへ ンリ! ヮァ— ド- ビ ー チヤ— の 額縁な しの 肖像画へ 目 を 移した。 それ か ら 壁へ 目をやった。 無論、 君が そう 云う 風に 目 を 移し ていった 目的 は ハツ キリして いる さ。 君 は その 肖像画 を 額縁に 入れたら、 壁の むき 出しに なって いる 所へ か けて、 ゴ ルドンの 肖像画と つり 合いの とれる ようにし ようと 思 つ ていたんだろう」 「実に 君 は 気味の 悪い ように 僕の 気持ち をよ く 見と い たんだね」 私 は 叫んだ。 「迷う ことなく ハツ キリ 分かった よ。 —— いいかね、 それから 君の 考え はまた ビ— チヤ— に 戻って 来た。 そ して 君 はビ— チヤ ー の 性格 を 研究で もす るかの ように、 じっと 熱心に それ を 見詰め 出したろう。 が やがて 君 は 目 を すぼめる の を やめに した。 しかし 君 は 依然として その 肖像画 を 眺めつ づけて いたが、 その 時の 君の 顔 は 何 かもの を 考え 耽って る 顔つきだった。 —— 君 はビ— チヤ— の 生涯に おきた いろいろな 出来事 を 思い起して いたに 違いな いんだ。 僕に は、 君が、 ビ— チヤ ー が あ の 革命 戦争の時、 北方の 利益の ために 企てた 使命の こ と を 考えて いたと 云う ことが、 確かに 分かって るんだ よ。 なぜなら 君 はいつ だった か、 彼が 我々 国民の 動乱 ザ J うが い を 蒙らされ たと 云う ことにつ いて、 ひどく 慷慨して い たことの あつたの を、 僕 は 覚えて るから。 だから 君が、 もし ビ ー チヤ ー のこと を 考え 起こす 時 は、 必ず そのこ と を 考えないで はいられな いと、 僕 は 思 うんだ。 —— それから その 次の 瞬間 だが、 僕 は 君が その 肖像画から 目を離し たのに 気がつい たんだ。 僕 は 君の 心が、 革命 戦争の ことにむ いて 来たな、 と 推測した ね。 とそう 思 うと、 君 は 唇 を 固く 結んで、 眼 を 輝かし、 両手 をき つ く 握り しめてい たじ やない か。 僕 は それ を 見て、 君 は あの 革命 戦争の 戦いの 時、 両軍に よって 示された 華々 しさ を 夢見て るんだ な、 とそう 想像した よ。 とこ ろが その 時、 君の 顔 は 再び 物悲しそう になった。 そし て 君 は 頭 を 振ったろう。 君 は その 時た しかに、 悲し さ と 恐ろし さと、 それから 人生の 淋し さ を 感じて いたに きずあと 相違な いんだ。 君の 手 は 君の 古い 傷痕の ほうへの びて いった。 そして 君の 唇に はかす かな 笑いが ふるえて い た。 こうした こと は 僕に、 君の 心の 上に おかれた この 国際的な 問題 を 解決す る 上に、 不思議な 珍ら しい 一面 を 見せて くれたんだ。 —— つまり こういう 点から、 僕 は それが 不自然な やり方 だと 云う 君の 意見に 同意した わけなん だが、 僕 は 喜んでい るよ、 僕の 推断の 間違い をす ベ て 正された 事 を …… 」 「全く その 通り だ」 私 は 云った。 「君に そう 説明され てみ ると、 僕 は 実際 前の 時と 同様、 驚かされ るね」 「ワトソン 君、 それ は 表面 だけの こと だよ。 もし 君が この間、 君の 注意深い 所 を 見せて くれなかったら、 僕 はお そらく 君の 注意の 動きなん かに 目 をつ け やしな かったろう。 それ はそうと、 夕方に なったら、 少 し 風が 出て 来たらし いね。 どうかね、 ロンドン 中 をぶ ら つくの は?」 私 は その 狭い部屋に 疲れて いたので、 喜んで それに 同意した。 私たち は 三時 間ば かり、 一 しょに、 フリ— ト • ス トリ— トゃ 川の 岸な ど を、 さまざまな 生活 相 を 眺めながら ぶらついて 廻った。 ホ— ムズの 細かい 鋭い 観察力 を 持った、 そして また 推理の 深い 力 を 持った 独 特な話 は、 私 を 楽 ませ 少しも 飽きさせなかった。 そう して 私たちが ベ —力— 街に 帰つ て 来たの は 十 時す ぎ だった。 —— と、 入口の そとに 一 台の 一 頭 だての 箱 馬 車が とまって いた。 「ふうん、 —— 分かった」 と、 ホ— ムズは 云った。 「医者、 —— 内科 も 外科 もやる 開業医の 馬車ら しいな。 ちょっと 調べて みたまえ。 —— きっと 何 か 相談に やつ て 来たに 違いない よ。 いい 所へ 帰って来 たね」 私 はホ— ムズ がそう 推定した ことにつ いて、 話し 合った。 そして その 馬車の 内側に、 ランプの 光りの 中 あ み ざ い く にか けられて あった 編 細工の バ スケ ットの 中に 這 入つ ている いろいろな 医者の 器械 を 調ら ベて みた。 それ は ホ— ムズ に、 彼の 敏速な 推断 を 下す 材料 を 与えた もの だった の だが。 —— 私たちの 部屋から もれる 明かり は、 この 夜 遅い 訪問客が、 私たち を 待ちもう けて いると 云 うこと を 物語つ ている ように 見えた。 私 はそんな 時間に、 私の 仲間の 医者 を、 ホ— ムズの 所へ 寄越した 事件と 云う の は どんな 事件な のだろう と、 ある 好奇心 を以 つて、 ホ— ムズの あとから 私たちの 居 間に 這 入って いった。 私たちが 這 入って 行く と、 火の 側の 椅子から、 顔色 の 蒼い 細面の 髭 を はやした 男が 立ち上った。 年の 頃 は 三十 三四才 より 上で はなさそう だった が、 彼の やつれ た 表情と 不健康 そうな 顔色と は、 彼の 青年時代 を 奪い 彼の 力 を 絞りと つた その 生活 を 物語って いた。 彼の 動 作 は 敏感な 紳士の ように 神経質 的で 内気だった。 そう して 彼が 立ち上る まで 暖炉に かざして いた 彼の 痩せた 白い 手 は、 外科医の 手と 云うよ リ はむしろ 芸術家の 手 と 云う ほうが ふさわし いくら いであった。 彼の 服装 は 穏やかな 厳かな もので、 黒い フロック コ— トに 暗い色 の 縞 ズボン、 それらに 調和した ネクタイ をむ すんで い た。 「よくい らっしゃ いました。 先生」 とホ— ムズ は、 気軽に 云った。 「あまりお 待たせし なかった ようで、 幸いでした」 「別当に おききに なりました か?」 「いや、 サイド. テ エブルの 上の 蠟燭を 見れば 分かり ます。 —— まあ、 どうぞ、 おかけ 下さい。 —— どんな 事が 起きました かな」 「私 は 医者の ペル シ—. トレべ リ アンと 申す ものです」 と 私たちの 訪問客 は 云った。 「ブルック 街 四百 三番 地に 住んで おります」 「あなた は 神経 傷害に つ い て 論文 をお 書きに な つ た、 あの方ではありません か?」 私 はきいて みた。 彼の 蒼白い 頰は、 自分の した 仕事 を 私が 知っている と 云う こと をき いて、 嬉し さで 紅く 輝いた。 「その 通りです。 私自身、 もう 葬られて しまったと 思って いる 自分の 仕事に ついて、 そんなお 言葉 をき い たの は 始めて です」 彼 は 云った。 「私の 本の 発行者 は、 そ の 売行きが 悪 い と 言 つて、 すつ かり 私の 勇気 をく じいて しまいました。 —— です が、 あなた 御自身 も、 やはり 医業 をお やりな のです か?」 「私 は 退職 外科 軍医です よ」 「そうです か。 私 はずつ と 精神病ば かり を やって おり ます。 私 は それ を うんと 研究して みたい と 思って いる のです が、 無論なん です よ、 人間 は 最初に 初めた 事 を やり 通すべき なんです がね。 —— しかし、 こんな こと を しゃべつ ている 時じゃありません ね、 シャ ー ロッ ク • ホ ー ムズ さん。 —— 実はこう なんです。 最近、 私 の ブルック 街の 家に、 実に 奇妙な 事件が 持ち 上って る ん です。 で、 今夜 はとうとう、 明日まで 待つ ことが 出 来ずに、 あなたのお 力 を 拝借に やって来た わけなんで す」 シャ ー ロック • ホー ムズは 腰をおろして、 パイプに 火 をつ けた。 「本当によ くいら し つ て 下さいました」 彼 は 云った。 「どうか、 あなた をな やまして いると 云う その 事件 を、 こまかく 詳しくお 話しに なって 下さいません か」 「その 一 つ 二つ は 実際つ まらない 事なん です」 トレベリアン 医師 は 云った。 「実際 それ をお 話す るの はお 恥ずかしい くらい なんで す。 しかし 事件 は 実に 合点が いかない ばか リか、 最近、 あなたがたに お話しし なければ ならな くな つた ほど、 こみ 入って 来たので す。 —— どうか、 私が お 話す る 所 から、 肝要な 箇所と そうでない 箇所と を 御 判断な すつ て 下さい。 最初に、 どうしても 順序と して、 私の 学生時代 のこ とから お話しなければ なりません。 御 承知の ように 私 は ロンドン 大学の 卒業生 なんです。 実は、 自分で 自分 のこと を ほめて お話しす るの は 変な ものなん です が、 私 は 学生時代、 大学の 教授 達から 前途 を 大いに 嘱目 さ れ ていたの でした。 だもので すから、 私 は 卒業して か らも、 キング. コ レツ ジ 病院に 職 を 奉じながら、 自分 の 研究に 没頭す る こと をつ づけて おりました。 私 は 幸 福に も、 顚癇 病の 病理学 を 研究す る 事に、 異常な 興味 と 昂奮と を 持って いたのです。 そして ただいま あなた のお 友達が 私 をおから かいに なった 例の 神経 傷害に 関 しての 論文に よって、 ブル ー ス • ピン 力— トン 賞と 賞 盃とを かち 得る ことが 出来ました。 —— けれども 私 は、 よし その 時、 そんなに 素晴らしい 前途が 目の前に 開ら けて いても、 私 は それから さきにす すむべき ではな かった のです。 と 云う の は、 私の 大望 を とげる に は、 一 つの 大きな 障害 を 乗り越えなければ ならない のでした。 こう 申せ ば あなたに はもう 既に 了解して いただけた ことと 思い ますが、 障くな ろうと 云う、 高い 望み を 持って いる 専 門 医 は、 力 ベン ディ ッシ • スクェア 区のう ちの 十二 街 のどれ か 一 つに 開業し なければ なりませんでした。 と ころが そこに 開業す るに は、 素晴らしく 高い 家賃の 家 を 借り、 家の 中 もお 金 を かけて 飾らなくて はならない のです。 おまけに、 こうした 予備的 入費の 上に、 四 五 年 は 遊んで 食う だけのお 金の 用意と、 また 見かけの 立 派な 馬車と 馬と を やとえる だけのお 金 を 持って いなけ れ ばなら ない のでした。 こうした こと をす るの は、 全 く 私の 力 以上の ことで、 でなくても、 少 くも 十 年間 私 が儉 約して 貯金して からでなくて は、 そんな こと は 出 来そう もなかった のです。 ところが どうです、 そ の 時 突然、 全く 思い も かけなかった 一 つの 出来事が、 私に 新しく 私の 前途の 望み を ひらいて くれたの です。 それ は、 私に は 全然 赤の他人の、 ブレ シン トンと 云 う 名の 紳士に 訪問され たこと でした。 彼 は ある 朝 突然 に 私の 部屋に やって来て、 いきなり 話 をき リ出 しまし た。 「あなた は、 例の 大学 時分 非常な すぐれた 成績 をお あ げ にな つ て、 そして 最近 例の 賞盃 をお もらいに なった、 あの ぺ ルシィ • トレべ リ アン 君でしょう?」 彼 は 申しました。 私 はそう だと 答えました。 「では、 どうぞ 卒直に お答えに な つ て 下さいません か」 彼 はつ づけました。 「そうして 下さる ほうが、 あなたのお ためにな るので す。 —— あなた は 人間 を 成功させる ための 賢 さは みん な 持って いる。 —— ところで 世才 はお ありです か?」 私 は そのぶ しつ けな 質問 に 、 思わず 笑わず に はいら れ ませんで した。 「ええ、 まあ、 相応に は あるつ もりです」 私 は 答えた。 「では 何 か 悪い 習慣 は 9 お 酒 をお 飲みになる なん て こと はな いんでしょう?」 「もちろん、 飲みません」 「至極 結構。 そり ァ 結構です。 —— しかしもう 一 つき かなく ちゃなら ない ことがあ るんで す。 それなら、 そ れ だけの 条件が 揃ってい るのに、 なぜ 開業な さらない のです か?」 私 は 肩 を そび やかし ました。 「よ ござんす、 よ ござんす」 彼 は 彼 一 流の せわしない 口調で 申しました。 「そんな こと は 分かりき つてい る 話です。 —— あなた は あなたの ポケットの 中より あなたの 脳の 中の ほうが たくさん 貯蓄が あるんで しょう。 え? そうじゃ あり ません か。 ところで、 どうでしょう、 私 は あなた を、 ブルック 街に 開業 させて お上げし たいと 思って い るんで すが …… 」 私 はび つ くりして 彼 を 見詰めました。 「いや、 それ はね、 あなたの ためで はなく、 私自身の ためなん です よ」 彼 は 声 を 大きく して 云いました。 「私 は 何もかも 洗い ざら いかくす ことなく 卒直に 申し ますよ。 その ほうが、 あなたに もい いでし ようし、 ま た 私に も 大変 都合が いいんで すから。 II 実は、 私 は ここに 数千 ドル 何 かに 投資した いと 思って るお 金が あ るんで す。 そこで 私 は それ を あなたに かけて みたい と 思 つ てる わけなん です」 「しかし それ はどう 云う わけで そうお 思いに な つたの です 力?」 私 は 咽喉の つまった ような 声で 云った。 「理由です か 9 それ はつ まリ 他の ものの 投機 を や るのと 同じような 理窟から です。 でも その 中で これ は 一 番 安全です からね」 「で、 もしそう して 下さる としたら、 私 はどう 云う こ と をしたら よいので しょう?」 「それ をお 話しし ましょう。 —— 私 は 家 を 建てて、 そ れを すっかり 飾りつ けて、 召使いた ちの 給料 を 払って、 ほうぼうへ 宣伝 をす る、 それ は 私が やります。 I I ですから あなた はた だ 診察室に すわ つ ていさえ した ほか らいいの です。 —— おお 小使い やその 外 身の 廻りの も の は 私が みんな 心配して あげます。 その代り、 あなた が 稼いだ 四 分の 三 を 私に 下さい。 そして その 残り は あ なた の 収入と 云う ことに …… 」 ホ— ムズ さん、 これが、 ブレ シン トンが 私の 所へ 持つ て 来た、 奇妙な 申込みの 条件だった のです。 それから 私 は、 彼と どんな 風に 取引し、 どんな 風に 約束した か は、 くどくどと 申 上げる まで もない ことでしょう。 私 は 次の 通告 節に 引越して いって、 そして 彼が 初め 申出 たのと 同じ 状態の もとに、 いよいよ 開業した のでした。 そして ブレ シン トン 自身 も、 ちょうど、 入院患者 のよ うな 格好で、 私と 一 しゃに 住む ことにな りました。 彼 は 心臓が 弱く、 いつも 医者の 監督が 必要ら しいので し た。 —— 彼 は 一 階の 最上 等の 部屋 を 二 部屋 占領して、 一 つ は 居間に、 一 つ は 寝室に 使って おりました。 彼 は 奇妙な 孤独 癖の 人間で、 人と も あまり 交際せ ず、 外出 する ことな ど は ほとんどありませんでした。 彼の 日常 生活 はむしろ 不規則 的でした が、 しかした だ ある 一 つ のこと に関して だけ は、 実に 規則 そのもの のように 正 確でした。 それ は 毎日 夕方に なると、 診察室の 中に 這 入って 来て、 帳簿 を 調べ、 それから 私が 稼いだ お金 を、 一 ギニァ に ついて 五シル リングと 三べ ンス だけお いて、 あとの 残り は みんな 持って いって、 自分の 部屋の 中に おいて ある 丈夫そう な 箱の 中に しまう ことでした。 さて 次に 商売の ほうです が、 少 くも 私の 知って る範 囲で は、 彼が その 評判 を 悲しまなければ ならない よう な 機会 は、 ただ 一度 もなかった ろうと、 確信して おり ます。 それ は 初めから 成功でした。 私が その 前に、 病 院 でかち 得て おいた 評判 や、 また 二三の 成功な どのた いきお い めに、 私 はす ごい 勢 では やり 出しました。 そして こ の 一 二 年の 間に、 私 は 彼 をす つかりお 金持ちに して や つ てし ま つたので す。 ホ— ムズ さん、 私の 今日まで はこん な 風な 生涯 だつ たのです。 そして また ブレ シン トンとの 関係 も 今お 話 したよう なわけ だった のです。 —— そこで これからお 話しなければ ならな いのは、 今夜の 出来 ごとな のです ちょうど 一 一三 週間 前の ことでした。 ブレ シン トン 氏 が 突然に、 私の 所へ やって 参り ましたが、 彼 は 何だか、 変に イラ イラして いるら しいよう な 様子でした。 そし て 彼 はしき りに、 西部 地方で 起きた 盗難 事件の こと を 話し、 滑稽な ほど 昂奮して、 どうしても 私たち も 二三 日のう ちに、 窓 や 扉へ 丈夫な 閂 をつ けなくて はなら ない と 主張す るので した。 そうして、 それからと 云う もの は 一 週間の 間、 毎日 休みな く 窓から 外 をの ぞいて は 見る のです。 そして 彼が 昼飯 をと る 前に は 必ず その 辺 を ブラ ブラして 来る 恒例の 散歩 もやめ てし ま つ て、 その 奇妙な 昂奮 状態に いるので した。 —— こうした 彼 の 様子から、 私 は、 彼が 何 かの 恐 迫 観念に 捕われて い るのに 相違ない、 と 感づきました。 しかし 私が 彼に、 何 かその ことにつ いてきき 出す と、 彼 は 猛烈に 反抗的 になって 来て、 どうしても 何 か 他の 事に 話 を そらして しまわな いわけに はいかない のでした。 が、 —— 有難 いこと に、 そんな 屈に してし ばらく 日 を 経てい るう ち に、 次第に 彼の 恐 迫 観念 は 消えて いって、 また 普通の 彼に かえった のです。 ところが、 事実 は それ はッ 力の 間の 喜びで、 また 新しい 出来事が 彼 を 再び 気の毒な 虚 脱の 状態に もどらして しまった のでした。 そうして 現 在 彼 は その 状態に いるので す。 一体、 その 彼 を 再び そんな 状態に 追い込んだ 出来事 と 云う の は、 どんな 出来事な のか? と 申します と、 二日 前の ことでした。 今 あなたに 読んで おきかせ しま すが、 一通の、 日附け もなければ、 住所 も 書いて ない 手紙 を 受取った のです。 —— こちら は ただいま イギリスに 滞在中の 口 シャの 貴族です が、 —— と、 その 手紙 は 書き出されて いました。 ペル シ 1- トレベリアン 博士に 御 診察 を ぜひお 願いした いと 思って おります。 実は こちらの 患者 は 数年 来、 顚癇 の 発作に 悩まされて いるので ございます。 幸い トレ ベ リ アン 博士 は 顚癇 病の 大家で あるときき ましたの で、 明日 午後 六 時 十五 分 頃に お伺い 致したい と 思い ます。 御迷惑で も 御 在宅の ほど 御 願い 申 上げます。 この 手紙 は 私に 深い 興味 を 起こさせました。 なぜな ら、 この 顚癇 病の 研究に とって、 一番 苦しい こと は 患 者が 非常に 少 いと 云う ことだった からです。 ですから その 翌日、 その 手紙が 指定して 来た 時間に、 私 はちゃ んと 診察室に 坐って、 その 患者の 来る の を 待って いた こと は 申す まで もありません。 その 男 は 年 をと つた、 痩せぎ すな 真面目 そうな 当り 前な 男で、 どこに も ロシアの 貴族と 云った ような 感じ は 少しもありませんでした。 が、 それよりも もっと 私 を 驚かした の は、 その 患者の 附 添いの 男でした。 それ は 背の 高い 若い 男で、 色の 浅黒い しっかりした 顔つき に、 ヘラクレスの ような 丈夫そう な 四肢と 胸と を 持つ ている、 見る から 堂々 とした 男でした、 彼 は 患者 を 肩 に 倚 りかから せながら 這 入って 来て、 静かに 椅子に 腰 かけさせました。 彼の 表情 を 見て いただけ では、 彼の どこに、 そんな 風に 患者 をいた わる やさし さが あるの だろうと 思える ほど、 彼 は 堂々 としてい たのです。 「ごめん 下さい、 先生」 と、 彼 は 流暢な 英語で 挨拶し ました。 「これ は 私の 父で ございます。 私に と つ て はこの 父の 健康 は、 何ものに も かえが たい 大切な ものな のです」 私 は 彼の その子と しての 心痛に いたく 心 を 動かされ ました。 「診察に お立ち合いになります か?」 私 は 云いました。 「とんでもない」 彼 は 恐ろし そうな 顔 をして 叫びました。 「とても 私に は 苦しく つて 見て はいられな いんです。 私 は 父親が、 この 病気の 発作に 襲われる の を 見る たび に、 まるで 死んだ ような 気がする のです。 私の 神経 組 織 は、 お 話に ならない ほど 弱々 しく 敏感なん です。 I I 私 はお 許し をいた だいて、 診察が 終る まで 待合室で 待って おります」 無論 私 は 彼の 申出に 同意し ました。 そして その 若い 男 は 診察室から 出て 行きました。 こんな 風に して、 い よいよ 私 は、 患者と 二人き リ になり、 その 診察に 移リ、 私 は その 様子 を 熱心に ノ ー トに 記して 行きました。 患 者に あまり 高い 教養 はない らしく、 時々 その 答弁 は曖 昧に 分かりにくくな りました が、 私 は それ を 彼が 私た ちの 国の 言葉に まだ 不馴れ だから だ、 と 云うよう な 様 子 を 装って やりました。 けれども そのうちに 突然に、 彼 は 私の 問いに 答える の を やめました ので、 私 は 驚い て 彼 を 見て いますと、 彼 はやが て 椅子から 立ち上って、 全く 無表情な 硬 わば つた 顔 をして、 私 を まじまじと見 詰める のでした。 —— 云わず と 知れた、 彼 は 例の 神秘 的な 精神 錯乱の 発作に 捕われた のです。 実際の 話、 私が その 患者 を 見て、 まず 一番 最初に 感 じたの は 同情と それから 恐れと でした。 が、 その 次に 感じた の は、 たしかに 学問的な 満足だった こと を 白状 します。 —— 私 は その 患者の 脈の 状態 や 性質 や を 詳し く 書きと め、 それから 彼のから だの 筋肉の 剛直 性 をた めして みたり、 また その 感受性 や 反応の 度合い を しら ベ てみ たりし ました。 が、 これらの 諸 点の 診察で は、 私が かって 取扱った 患者と、 特別に 違った 所 は 何もありませんでした。 そ こで 私 はこうした 場合に、 患者に 亜硝酸 アミ ルを 吸入 させて、 よい 結果 を 得る こと を 思い出しました ので、 この 時 こそ、 その 効果 をた めして みるのに よい 時 だと 考えつきました。 ところが、 その 瓶 は 折 悪しく 階下の 実験室に おいて ありまし たので、 私 は 患者 を 椅子に 腰 かけさせた まま 残して おいて、 それ を 取りに 階下に お りたので す。 そして、 そうです ね、 せいぜい 五分、 I I その 瓶 を さがす のに 手間 どれた のです が、 すぐい そ いで 診察室に 引返しました。 —— ところが どうです、 その ひまに 患者 は 私の 診察室から どこかへ 出て いっち まって、 室の 中 はからつ ぼなん じゃありません か。 ま あ、 その 時の 私の 驚き 方 を ご 想像 下さい。 無論 私 は、 第 一番に 待合室に とんで いってみ ました よ。 すると どうです、 その 息子 も やっぱり いないので す。 大広間の ドアが 閉められて はい ましたが、 鍵が か けて なかった のです ね —— その 患者た ち を 案内して 来 たボ— ィは、 まだ 来たば かりの ボ— ィで、 とにかく 気 がきかない のです。 で、 彼 はいつ も 階下に 待って いて、 私が ベル を 鳴らす と 二階へ とんで 上って 来て、 患者 を 下へ つれてお りる ことにな つていた のです。 —— その ボ— ィも 何も 物音 を 聞かなかった と 云う のです。 こう して この 日の この 事件 は 全く わけの 分からない ままに すんで しまった のでした。 が、 それから しばらく して ブレ シ ン ト ン 氏が そ の 習 匱 の 散歩から 帰 つてき ま したが、 しかし 私 は その 事件に ついては 何も 話し をし ませんで した。 と 云う の は、 なるべく 彼と、 うるさい 事件に つ いて はか かり 合わない ような 方針 をと つてい たからな のです。 こんな わけで 昨日 は 不思議な 事件が 起きた ままで 暮 れて しまい、 それから 今日は、 私 はまた 今日の 仕事に 追われて、 ついその ロシア 人 親子の こと を 忘れて おり ました。 ところが きょうの 夕方の こと、 ふと、 私 は 診 察 室に 這 入って 来る 彼等 親子 を 見て びっくり したので す。 しかも 時間まで、 昨日と 同じ 時刻だった では あり ません か。 「どうも 昨日 は、 突然に だまって 帰って しまって 申 わ け ございません」 と、 その 患者 は 云い わけ を 申しました。 「いいえ、 どうしまして。 けれど ちょっと 驚きました よ」 私 は 答えました。 「いえ、 実は そのこう 云う わけなんで ございま すよ」 患者 は 話し 出しました。 「私 はいつ も 例の 発作が 起きた 後 は、 心に 雲が かかつ たように なって、 その 前にあった こと をす つかり 忘れ ちまう のです。 だもので すから 昨日 も 発作から さめて みます と、 見た ことのない 変な 部屋に おります でしよ う。 で、 これ は 怪しい ぞと 思いながら、 立ち上って、 ふらふらと 表の 通 に 出て い つ てし まったんで ござい ます。 ちょうど 先生が 部屋に お見えにならない 最中に …:- J 「私 はまた …… 」 と、 彼の 息子 は 話 をつ ぐので した。 「見て い ると 親 じが 待合室 の 入口から フ ラフ ラと這 入って 来 るんで しょう。 ですから、 これ はてつ きり も う 診察が 終つ ちまった こと だろうと 思い ましてね、 I I 家へ 帰つ て 親 じから 事情 を いろいろき いてみ るまで、 ち つ とも 気がつかずに いたんです」 「そうでし たか、 そり やどう も 」 私 は 笑いながら 答えました。 「いや、 かまいませんよ、 私の ほう はちつ とも 迷惑し なかつ たんです から。 —— ただ、 どうしたん だろうと 思って、 ひどく まごつき はしました がね。 —— では、 待合室で お持ち 下さい。 昨日の、 診察の つづき を やつ てし まいましょう。 もう じき、 終りそう な 所まで いつ ていたん ですから :••: 」 それから 三十 分ば かりの 間、 私 は その 老 紳士と、 彼 の 病気の 徴候に ついて 話し合ったり、 診察した りして、 すっかり 記録 をと つてから、 やがて 彼 は その 息子に 手 を とられながら 帰つ て 行きました。 そこで 私 は、 ちょうど その 日 も ほどなく 散歩から 帰って来た ブレ シン トン 氏に、 この 患者の 話 をして き かせました。 すると その 話 をき き 終る か 終らない かの 時でした。 ブレ シン トン 氏 は あわただしく 二階に かけ 上って 行き ましたが、 やがてす ぐ とんで 降りて 来る と、 いきなり 私の 診察室に とび 込んで 来たので す。 その 恰 好 は 発作に 襲われた 狂人 さながらな のでした。 「僕の 部屋に 這 入った 奴 は どいつ だ?」 彼は呶 鳴りました。 「誰も 這 入りません よ」 私 は 答えました。 「いいや、 噓だ」 彼 は 呻る ように 云う のでした。 「あが つ て 来て みろ!」 私 は 彼が 恐 迫 観念に 襲われて、 半分 正気 を 失って い る 時に 使う、 乱暴な 粗野な 言葉 使い は、 平気で きき 流 す ことに なれて いた。 私 は 彼の 云う ままに 二階に 上つ ていって みます と、 彼の 指さす 力— ペットの 上に、 あ り ありと 人の 足跡が 三 つ 四つし るされ ている のでした _ 「君 はこれ を 僕の 足跡 だと 云う つもり か?」 彼 はなお、 呶 鳴りつ づけました。 それ はたし かに 彼の 足跡より、 遥かに 大きい もので、 おまけに 極めて 新しく あざやかに ついていました。 御 承知の ようにき ようの 午後 は 雨降りでした。 そして 午 後に やって来た 患者 は、 彼等 親子より 外にはなかった のです。 —— とすると、 事実 はこう 思われなくて はな ら なくなります。 私が 患者 を 診察して いる 間に 待合室 にいた 彼の 息子が、 この 部屋に 這入り込ん だに 相違な いと。 事実、 そこに は 何も 手がかり も 証拠 も 見あたり はしませんでした けれど、 この 足跡が 何よりも はっき り、 彼が 闖入した こと を 物語って いるので した。 ブレ シン トン 氏 はすつ かり 昂奮して しまいました。 無論こう 云う こと は、 普通の 人 だって 心の 平和 を かき 乱されずに いられる ものではありません。 彼 は 何だか わけの 分からな いこと を 叫びながら 椅子に 腰をおろす と、 めちゃくちゃな こと を 口走 リ 始めて、 どうに も 手 がつ けられな いんです。 —— で、 私が あなたの 所へ 伺った の も、 実は 彼の 意志なん です。 もちろん、 こん な 事件 は、 すぐ 解決の つく こと だろうと 私 は 思って い るんで すが。 —— 事実、 ブレ シン トン 氏 は 非常な 重大 問題 か 何 かの ように 思って いるら しいんで すが、 しか し 本当 はごく 単純な 出来事なん ですからね。 —— そん なわけ で、 もう 今から すぐ、 私の 馬車で 私と 一 しょに 来て いただけます ようです と、 よし その 事件の 解決 は すぐつ かないに しても、 彼 は 平静に して 下さる ことが 出来る と 思 うんです が …… 」 シャ ー ロック • ホ —ムズ は、 彼の 長い 話 を 熱心に き いていた。 私 は その ホ— ムズの 様子 を 見て、 彼の 心の うちに その 事件に 対して 興味が 湧いて 来たらし いこと を 見て とった。 彼の 顔の 表情 は 少しも 変り はしな かつ たが、 彼の 目蓋 は 重く 彼の 上に 垂れさが り、 彼の 唇 か らは、 あたかも その 医者の 話す 一 つ 一 つの 珍妙な 物語 を、 更に 不思議にす るかの ように、 濃い 煙草の 煙が も くもく と 吐かれて いた。 —— が、 やがて 私たちの その 訪問客が 話 を 終る と、 ホ ー ムズ はもの も 云わずに 突然 立ち上った。 そして 私に 私の 帽子 を 手渡し、 自分の も テ ー ブルの 上から つまみ 上げて、 トレベリアン 博士の 後に ついて 入口の ほうに 出かけた。 こうして それから 二十 分ば かりの 後、 私たち は ブルック. ス トリ ー トに すま い ある トレベリアン 博士の 住居の 前で 馬車 をお りた。 そ して 小さな 少年の 給仕が 出て 来て 案内して くれたので、 私たち は 直ちに、 美しい 力— ペットの 敷いて ある 階段 を 昇つ て 一 一階に 行こうと した。 と、 その 時、 奇妙な 故障が 起きて、 私たち は その ま ま そこへ 立ちん坊 を させられる ような ことにな つ た。 と 云う の は、 その 時、 不意に 階段の 頂きに ついていた 電灯が 消え て 、 暗闇 の 中から 奇妙な 震え 声が 聞え て 来 たからで ある。 「僕 は ピストル を 持 つ てる ぞ!」 と、 その 声 は 叫んで いた。 「もし それから 一歩で も 近よ つてみ ろ、 俺 はブッ 放す から …… 」 「ブレ シン トン 氏、 何 を 乱暴な こと をな さるんで す」 トレベリアン 博士 は 叫んだ。 「ああ、 博士、 あなたです か?」 その 声 は、 ホッ としたよ うに 云った。 「だが、 その他の 男 は 何者です か? 何 をし に 来たん です?」 私たち は 闇 を 通して 長い間 見詰め 合って いた。 「分かりました。 分かりました。 さあ どうぞ …… 」 やがて その 声 は 云った。 「どうもお 気の毒な こと をし ました。 あんまり 私が 用 心 深す ぎて、 御迷惑 をお かけし まして …… 」 彼 はそう 言いながら 階段の 明リを 再びつ けた。 そこ で 私たち は 初めて、 私たちの 前に、 奇妙な 恰好 をした 男の 立って いるの を 見る ことが 出来た。 その 男の 顔つ き は、 ちょうど 彼の 声と 同じように、 その 藪の ように 入り乱れた 神経 を そのまま 現して いた。 彼 は 非常に 太って いたが、 しかしい つか は それより もっと 太って いたらし く、 ちょうど 獵 犬の ブラッド • ハウンドの 頰 のように、 ゆるんだ 革袋の ような 皮が、 顔の 周囲に 垂 れ 下って いた。 そうして 彼の 顔色 は 一目で 分かる ほど、 病人ら しい 色つ やで、 その やせた 赫茶 けた 頭髪 は、 い かに 彼の 感情が はげしい か を 物語って いた。 —— 彼 は 案の定、 手に ピストル を 持って いたが、 私たちが 近よ つ て 行く と、 それ を ポケットの 中に しまって しまった。 「今晩は、 ホ— ムズ さん、 よくいら しって 下さい まし た」 彼 は 云った。 「実は 大事 件が 起き ましてね、 どうしても あなたに 御 足労 願わなければ ならなかった のです。 おそらく 今 ま で、 私ぐ らい、 あなたのお 力 を 必要と していた もの は この 世界中に 一 人 だ つ てないでしょう。 —— たぶん、 もう トレベリアン 博士が、 このけ しからん 闖入者に つ いて、 あなたに お話しした ことと は 思います が …… 」 「ええ、 もう 大体の こと はう かがいました」 と、 ホ ー ムズは 云った。 「だが、 一体 その 二人の 男と 云う の は 何者なん です か? ブレ シン トンさん。 そうして 一 体、 なんの ため にあな たに そんな 迫害 を 加えよう とす るんで すか?」 「そうです、 そうです、 そのこと です」 この 入院患者 は、 精神病 者ら しい 神経質な 様子 をし て 答えた。 「それ は 無論、 云いに くいんで す。 ホ— ムズ さん、 私 は それにつ いて、 あなたに お答えす る こと は 出来ない でしよう」 「とおつ しゃる の は、 あなた は 知らない、 と 云う 意味 なんです か?」 「どうぞ、 まあ、 こちらへ いらし つて 下さい。 ま あどう か、 こっちへ お 這 入りに なって 下さい、 お願い ですから」 彼 は 私たち を 彼の 寝室の 中へ つれていった。 その 部 屋は 大きくて、 居心地よ く 飾りつ けて あった。 「あれ を 御覧 下さい」 彼 は、 寝台の 裾の ほうに おいて ある 大きな 黒い 箱 を 指さしながら 云う のだった。 「ホ— ムズ さん、 私 は 決して 大金 持ちではありません。 —— トレベリアン 博士が あなたに お話しした 通リ、 私 はこの 病院に 投資した 以外に は、 何も 事業な ど はして いないの です。 —— そのく せ 私 は、 銀行に お金 を 預け る ことが 出来な いんです。 私 は 銀行家 を 信用した こと はま だ 一度 もありません。 ですから、 私 は、 私の 持つ ている すべての もの は、 みんな あの 箱の 中に しまって あるので す。 —— と、 これ だけ 申 上げれば、 私の 部屋 に 見ず知らずの 人間が 這 入って 来る と 云う こと は、 私 にと つ て どれほど 重大な 問題で あるかと 云う こと は、 お分かりになる だろうと 思います」 ホ— ムズ はもの 問い たげ な 様子 をして、 ブ レシ ント ンを 眺めた。 そして それから 首 を ふった。 「もし あなたが 私 を 信用な さらない のなら、 私 は あな たに、 何もお 力に なって 上げる こと は 出来ません よ」 彼 は 云った。 「いえいえ、 しかし 何もかも あなたに お話しし たんで す」 きびす ホ ー ムズは 不愉快 そうな 顔 をして、 彼の 踵 をめ ぐ ら すと、 「さようなら、 トレベリアン 博士」 と、 彼 は 声をかけた。 「私に は 何も 相談に 乗って いただけな いんです か?」 ブレ シン トン は、 うろたえた 声で 叫んだ。 「あなたに 申 上げたい こと は、 真実 をお 話しな さいと 云う こと だけです」 それから 数 分の 後、 私たち は 街へ 出て、 家路 を迪リ つつあった。 私たち は オック スフ ォ— ド街を 横切り、 そして ハ— レイ 街の 中 ほどまで 下って 来る まで、 お 互 いに 一 言 も 口 をき き 合わなかった。 「ワトソン、 あんな 馬鹿な 奴の 所へ、 下らなく 君 を 引つ 張り出し てす まなか つ たねえ」 遂に、 ホ— ムズは 口 を ひらいた。 「しかし あの 問題の どん 詰りまで 行けば、 面白い 事件 なんだ よ」 「そうかね え、 僕に は 全然 分からない」 私 は 正直に 白状した。 「とにかく 何 かの 理由で、 この ブレ シン トン をつ けね ら つてる 男が 二人、 —— いや、 ことによると もっとい るか も 知れない が、 少 くも 二人い る、 と 云う こと はた しかなん だ。 僕 は 最初の 時 も それから 二度目の 時に も、 例の 若い 男が ブ レ シン トンの 部屋に 忍び 込んだ に 違い ない と 思って るんだ。 そして その 間 片方で は、 共謀者 が、 実に 巧みな 計略で、 例の 医者 を 診察室の 中へ とじ こめち ま つ ていたんだ」 「だがし かし 一 人の 男 は顚癇 病の 患者だった のじ やな いかね!」 「な あに、 君、 あ リア 仮病 さ、 ワトソン 君、 なんだか 専問 家に 僕の ほうで 教える ような 形に な つ て 変 だけれ ど、 その 真似 をして 仮病 をつ かう ぐらいの こと は 何で もな いんだよ。 僕に だって 出来る」 「ふむ、 —— で、 それから?」 「それから だね、 前後 二回と も、 ブレ シン トンが 外出 中の ことだった の は、 偶然に そうな つたの だと 云う こ とだ。 それ は、 つまり 診察しても らうのに、 殊更に 夕 方の そんな 変な 時間 を 選んだ と 云う の は、 そんな 時間 なら 待合室に は 誰も いないのに 相違ない からだつ たの だ。 ところが、 それが 偶然に もブレ シン トンの 毎日の 規則と 合って しまった わけなんだ。 その 二人の 男 は 全 くブ レ シ ン トンが 毎日 夕方に なると 散歩に 出る ことな ど は 知らなかった の だ。 —— 無論、 もし その 二人の 男 が、 何 か 略奪 をす る 目的で やって来 たの だとしたら、 あの ブレ シン トンの 部屋に 少 くも その 辺 を 探し 廻った らしい 形跡がなくて はならない。 その上、 僕 は、 大て いの 場合、 人の 目 を 見れば、 その 男が 何 か 心に 恐怖 を 持って る 場合に は、 ちゃんと 見抜く ことが 出来 るんだ。 そこで 僕 はこう 見当 をつ けた。 その 二人の 男 は、 かたき ブレ シン トン を 譬 とねら つ てる 男に 相違ない、 とね。 —— とすれば、 その 二人の 男が 何者 だか、 ブ レシ ント ンは 知っていなければ ならない はず だし、 それ だから こそ 彼 は それ を 隠して 知らない ような 顔 をして いるの に違いないの だ。 だが、 見た まえ、 あしたに なると、 あの 男 はき つ と 正直に 何もかも 打ち あけて 話す ように なる から …… 」 「なるほど、 それ はたし かにそう かもしれ ない ね」 と、 私 は 云った。 「だが その他に、 こう も 考えられる。 その 顚癇 病の 口 シァ人 親子の 話 は、 みんな トレベリアン 博士の つくり 話で、 ブレ シン トンに 対して 何 かなす 所あろう ため、 そんな 話 をつ くった ので はない かと 云う 事 だね」 私 は、 ホ— ムズが 私の この 反対 を 耳に した 時、 ニヤ リと 得意げ に 微笑した の を ガスの 光りの 中に 見た。 「僕 も それ は 最初に 考えた よ」 彼 は 云った。 「しかし 僕 は、 医者の 話 は 本当の こと だと 云う こと を 確かめる ことが 出来た。 —— と 云う の は 例の 若い 男 は、 階段の 力— ペットの 上へ も、 ちゃんと 足跡 を 残して いってい たので、 部屋の 内へ 残して いったと 云う その 足跡 を 見に 行かなくても 僕 はちゃん と 分か つ てし ま つ たんだが、 ブ レシ ント ン の 靴 も あの 医者の 靴 もさき が 尖って いるのに、 その 足跡 は 四角な 爪 さきで、 そして インチ 医者の 靴より は 一 吋 三分の 一は 大きい の だ。 これ を 見れば、 彼の 話が つくり 話で はなさ そうに 思われたん だ。 —— が、 まあ、 今夜 は 早く 寝て、 寝ながら 少し 考 えてみ ようよ。 きっと 明日の 朝になる と ブルック スト リ— ト から 何 か 云って 使が 迎えに やって来 るから… …:- J この シャ— ロック. ホ— ムズの 予言 は、 たちまち 見 事に あたって しまった。 しかも 最も 劇的な 筋 みちを 迪 つて。 —— と、 云う の は、 その 翌朝の 七 時半 頃の こ とだった。 窓から さし 込む 朝のう す 明かりの 中に、 も う 不断 服に 着かえ たホ— ムズ が、 私の 寝台の 側に 立つ ている の を 見出した。 「ワトソン、 馬車が 迎えに やって来 てるんだ」 と、 彼 は 云った。 「何 か 起きた のかい」 「いいや、 例の ブルックス トリ— トの 事件 だよ」 「ああ、 —— じ や、 何 か 新しい 知らせで も あつたんだ ね」 「悲劇的な、 しかも 至 つ て まぎらわしい 知らせ なんだ」 彼 は 部屋の 窓の 鎧 戸 を 引き あけな がらそう 云 つ た。 「まあ、 これ を 読んで みたまえ、 —— ノ— ト から 破リ とった 紙の 上へ、 鉛筆で、 —— 直ちに 御 来駕 御 救援 願 いたし、 トレベリアン、 —— と 書いて あるんだ からね- たぶん 医者 は、 この ノ ー ト さえ 書く のに やっとだった に違いないん だよ。 とにかく よほど 困って るら し いんだから、 いってみ て やろう じ やない か」 それから 二三 十分の 後、 私たち は 例の 医院の 前に 着 くこと が 出来た。 と、 彼 は 恐怖に 満ちた 顔つき をし な がら 家の 中から とび 出して 来た。 「思いがけない ことにな つたんで す」 彼 はそう 云いながら、 自分の 手で 自分の 額 を 押えた _ 「 一 体、 どうしたと 云 うんです?」 「ブレ シン トンが、 自殺 をし ちまつ たんです よ」 ホ— ムズは 驚きの 声 を あげた。 「そうなんです。 昨夜のう ちに、 ブレ シン トン は 首 を くく つ ちま つたんで す」 私たち は 家の 中に 這 入って いった。 そして 医者 は、 私たち をた ぶん 待合室で あろうと 思われる 部屋に 案内 していった。 「実際、 私 はどうした らいいの か、 全く 分からな いん です」 トレベリアン は 云った。 「巡査 はもうと うに 来て 二階に います。 私 はた だもう ふるえて い るば かりです」 「あなたが 自殺 を 見つけた の はいつ 頃です か?」 「彼 は 毎朝 早く、 きまって お茶 を 一 杯 飲む のが 習慣 だつ たんです が、 今朝 も 七 時に 女中が お茶 を 持って 部 屋に這 入って 行く と、 その 時には 既に、 彼 は 部屋の 真 ん 中に ブラ さが つ ていたの だと 云う ことです。 —— い ま リ つも あの 重い ランプ を かける ことにし ていた 鈞に、 紐 を むすびつけて、 昨日 私たちに 見せた あの 箱の 上から 飛んで ぶらさがった ものら しいです ね」 ホ— ムズ はしば らくの 間 じ つ と 考えて 立 つ ていた。 「ねえ どうでしょう」 ホ— ムズ はやが て 云った。 「僕 も 一 一階へ い つ て、 事件 を 調べて みた いんです がね」 そこで 私たち は 医者に つれられて 一 一階に 上 つ て 行つ た。 そうして 私たちが その 寝室に 這 入つ て 見た 光景 は、 実に 恐ろしい 眺めだった。 私 は、 これが ブレ シン トン かと 思われる ように、 グ ニヤ リ として たれさが つてい た その 様子 を、 どうしても ここに 書き 現す こと は 出来 ない。 その 鈞 から ぶらさがつ ている 様子 は、 どうして も 人間 だと は 思われなかった と 云っても、 少しも 誇張 ではない ので ある。 その 首 は、 ひねられた 鶏の 首の よ うに 伸びて、 余計に からだ 全体 を 太って いるよう に 見 せ、 その 対象の 奇妙さと 云ったら なかった。 それ はブ レ シン トンの 長い 寝巻き を まとった 粘土 細工で、 その 下から ふくれ 上った 踵と 不恰好な 足と が 二 ヨキ ッ とま る 出しに なって いるのに すぎない のであった。 —— そ して その 側に はすば し つ こそうな 警察の 探偵が 立 つ て、 しきりに 懐中 手帳に 何 か 書きと めて いた。 「ああ ホ— ムズ さん」 ホ— ムズが 這 入って 行く と 彼 は 云った。 「あなたが いらし つて 下す つたの は、 大変 有難いです」 「お早う、 レ— ナ— 君」 ホ— ムズは 答えた。 「余計な 奴が 闖入して 来たと 思わないで くれた まえよ。 君 はこの 事件 を 引き起こした 原因になる ベ きいろ いろな 出来事に ついて、 きいた かね?」 「ええ、 大体 はきき ました」 「で、 君の 意見 はどう かね?」 「私の 見ました 限りで は、 この 男 は 何 かの 恐怖の ため に 精神に 異常 を 来たした もの じ やない かと 思 うんです。 —— ごらんの ようにべ ットに は 寝て いたらし い 形跡が あり、 しかも 彼のから だの 形が そのまま 深く 残って い ます。 —— 普通、 自殺と 云う もの は、 朝の 五 時 頃に 行 われる のが 一 番多 いと 云う こと は あなた も 御存じの 通 りです が、 彼の 自殺 もや はり その 頃に 行われた のじ や ないかと 思 うんです。 —— しかしい ずれに しても これ は、 慎重に 考 うべき 事件ら しいよう な 気がします」 「筋肉の かたまり かたから 見る と、 死んで から 三時 間 ぐらい 経過して いますね」 私 は 云った。 「その外に、 この 部屋の 中で 何 か 変った こと はあり ま せんでした か?」 ホ— ムズは 訊ねた。 「螺旋 まわしと 二三の 螺旋 を 手洗い 台の 上で 見つけ ま した。 それから 前の 晚に はよ ほど ひどく 煙草 を 吸った らしい 紙 を 見ました。 ここに 暖炉の 中から ひろい 出し た 葉巻の 吸い さしが 四つあります」 「ふ— む」 ホ— ムズは 云った。 「彼の 葉巻 パイプ を 持って ます か?」 「いいえ。 そんな もの は 見えない ようで したよ」 「じ や、 葉巻 入れ は?」 うわぎ 「ああ それ は 上衣の ポケットの 中に ありました」 ホ— ムズは その 葉巻 入れ を ひらいて、 その 中に たつ た 一 本 残って いた 葉巻の 句い を かいで みた。 「ああ、 これ は ハバナ だ。 —— けれど、 そのほかの は、 東印度の 殖民 地から 輸入され る ドイツ 煙草で、 全然 何 か 別種の 葉巻ら しい。 —— それ は 君 も 知って るよう に、 犬て いは スト 口— でつ つんであって、 ほかの 種類の も のに 比較す ると、 長さの 割に 細 巻の もの だ」 彼 は そこに ある 四つの 吸い 残り をつ まみ 上げて、 そ れらを 懐中 レンズで 調べて みた。 「このうち 二つ はたし かに パイプで 吸われた もの だが、 他の 二 つ は パイプな しで 吸われた もの だ」 と 彼 は 云った。 「それから 二つの 口 は あんま リ 鋭くない pi; 物で 切って ある けれども、 他の 二つ は 丈夫な 歯で くい 切って ある。 —— レ— ナ— 君、 これ は 何 だね、 自殺 じ やない ね。 こ れは 実に 巧妙に 仕組んで ある、 冷酷な 殺人 だよ」 「そんな ことはないでしょう」 と、 探偵 は 叫んだ。 「なぜ さ?」 「なぜって、 そうじゃ ありま せんか、 首 をく くらせる なんて、 そんな 気の きかない 人殺しの 仕方なん て ある ものです か」 「いや、 それ は 僕たちが 発見した 時の 死人の 様子なん だよ」 「しかし それなら どこから 這 入って 来たんで しょ う?」 「ュ刖 の 入口から さ」 「でも 今朝 は、 そこに はちゃん と閂 がか かってい まし たよ」 「そり ァ 仕事が すんで からかけ たから さ」 「だが、 あなた はどうして それ を ご存じなん です? 〔# 「ご存じなん です?」 は 底本で は 「ご存じな いんです? 匕」 「その 跡が ちゃんと あるよ。 ちょっと 待ちた まえ 今、 君に もっと 不思議な こと を 見せて 上げる から」 彼 は 入口の ドアまで 歩いて いった。 そして そこの 鍵 を、 彼 独得の 法則に かなった やり方で 調べた。 それ か ら内 厠に ある 鍵 もとって、 しらべて みた。 また 寝台 も 敷 もの も 椅子 も 暖炉 も 死体 も 綱 も、 順々 に みんな しら ベて みた。 彼の 満足が 行く まで。 —— そうして 私と 探 偵との 手 を 借りて、 その 死骸 を 下にお ろして、 うやう やしく 被い もので おおった。 「この 綱 は どこから 持って来た ものなん です」 彼 はきいた。 「これから 切つ たんです よ」 トレベリアン 博士 は 寝台の 下から、 大きな 綱の 束 を 引っぱり 出しながら、 答えた。 むやみ 「ブ レシ ント ン は 無暗 に 火事 を こわがつ たんです。 だ ものです から、 もし 火事が おきて 来て 階段が 燃える よ うな ことがあった 場合、 窓から 逃げられる ようにと 云 うので この 綱 を、 い つも 自分の 側に おいといたん です」 「なるほどね、 その 綱が、 彼の 生命 を 救う どころ かか えって 奪つ てし ま つたと 云う わけなんで すね」 ホ— ムズは 考え深そう にそう 云 つ た。 「それで 大体 事件 は 想像が つき ましたよ。 きょう の 午後までに は、 すっかり 判明させる ことが 出来る と 思います。 —— あの 暖炉の 上の ブレ シン トンの 肖像 を とリ おろしても いいでしょう。 ちょっと 調べて みたい ことがあ るんで すが …… 」 「けれど 私に はま だ、 何も 話して 下さらない じゃあり ません か」 と 医者 は 云った。 「ああ、 そうでし たね。 こう 云う こと だけ は、 こ の 事件に ついて 疑いの ない 所です ね」 ホ— ムズは 云った。 「この 事件の 中には、 三人の 男が いると 云う ことです。 若い 男と 年 をと つた 男と それからもう 一人、 その 男に ついては まだ どんな 男 か、 私 は 手がかり がつ かないで いるんで すが。 —— しかしと にかく その 初め の 二人の 男です ね、 それ は 例の ロシア 貴族と その 息子 とに 化けて 来た 男で ある こと は、 申 上げる まで もない ことでしょう。 その 男た ち は、 誰か 家の 中に 加担した 男が いて、 その 男の 手引きで、 仕事 をしたら しいと 思 うんです がね 探偵、 あなたに ちょっと 御注意して おきたい こと は、 ここの、 案内の ボ— ィで すね、 あれ を 捕えて お調べに なって みたら。 —— なんでも 最近お 雇いに なった つたと 云う お 話でした ね、 博士 …… 」 「ええ、 あの 若僧が 見えな いんです よ。 今朝から」 と トレべ リ アン 博士 は 云った。 「今、 女中 や 料理番が さがして 歩いて いるんで すがね」 ホ— ムズは 肩 を そび やかした。 き や つ 「彼奴 はこの 事件で 少なからず 重大な 役目 をして いる んで すよ」 彼 は 云った。 「三人の 男た ち は、 爪 さきで 階段 を 昇って 来たんで す ね、 —— 年 をと つた 奴が 最初で、 それから 若い 男、 そ れ から その 分からな いもう 一 人の 男が 一 番 あとから… 〜」 「確かに そうだね、 ホ— ムズ 君」 と、 私 は 不意に、 思わず 口 を はさんだ。 「それ は、 たしかに 足跡が 重なり合って いるの を 見れ ば、 疑う 余地 はな いんです。 —— 私 は 昨夜の うちにつ けられた 足跡 を 調べて みました。 —— で、 彼等 はブレ シン トン 氏の 部屋の 入口まで のぼって 来たんで す。 し かし 入口の 戸 は 鍵が かかって いた。 そこで 彼等 はどう した かと 云えば、 針金の 力 を 応用して、 うまうまと 鍵 を 廻して しまった のです。 と 云う の は、 ごらんな さい。 拡大鏡がなくても、 この 通り 鍵の 穴に 引つ 搔ぃ たらしい 跡が あるの が 分かる でしよう。 これ は 針金 を 入れて 廻そうと した 時に つ いた 引つ 搔き キズに 相違な いんです。 奴等 は 部屋の 中に 這 入って 来る と、 いきなり ブ レシ ン トン 氏に 猿轡 を はめち まったんで すね、 ブ レシ ント ン氏 はた ぶん その 時 眠って いたか、 でなければ 目 を さ ましていた にしても、 恐ろし さで 縮み 上って、 声 を 立 てること も 出来なかった ものに 違いな いんです。 それ にこの 通り この 部屋の 壁 は 厚いで しょう。 ですから 彼 が 一 声 や 一 一声 叫んだ つ て、 到底 外まで 聞え はしな か つ たんです。 ところで、 ブレ シン トン 氏 をし ばり 上げち まって か ら、 奴等 は 何 をした かと 云えば、 私の 想像で は、 ブレ シ ン トン 氏 を どう 云う 方法で 殺ろ そうと 云う 相談 をし たんだろうと 思 うんです。 こう 云う 風な 事件の 時、 大 概 はそう 云った 順序 をと る ものら しいです ね。 し かも その 相談 はかなり 長く 続いた と 見えて この 通りた くさん 葉巻の 吸殻が 捨てて あります。 たぶん、 年と つ た 男 は そこの 椅子に 腰かけて いたんです。 パイプで 葉 卷を 吸った の は そいつでしょう。 それから 若い 男 は ひきだ そっち 側に いて、 抽出しの 縁 〔# 「縁」 は 底本で は 「椽匕 で 煙草の 灰 を 落して いたんです。 そして 三番 目の 奴 は、 その 辺 をい つたり 来たりして いたんでしょう。 ブ レシ ン トン 氏 は、 たぶん ベットの 上に すわらされ ていたん だろうと 私 は 思 うんです が、 しかし どれ も 確か じァぁ リ ません。 やがて 彼等の 相談 は、 ブレ シン トン を 吊るして 首 を くくらせよう という 事に きまった のです。 そこで 奴等 は、 何 かの 用に しょうと 思って 持って来た 滑車 を 絞首台 をつ くるのに 応用し たんです ね。 その 螺旋 廻し と 螺旋と で、 それ をし つかり そこにく くりつけ たんで す。 それから ブレ シン トン を そこに ぶらさげ たんです ね。 こう 云う 風に して、 すっかり 細工 をし 上げてから、 彼等 は悠々 と 入口から 出て いったので すが、 その あと はちゃん と 彼等の 共謀者が 家の 中に いて、 閂を かけて おいた もの だと、 私 は 思 うんです」 私たち は 非常に 深い 興味 を以 つて、 その 前の 晚の出 来 事の 話 をき いた。 ホ— ムズは それらの 話 を、 彼が 説 明して くれてい る 時で さえ、 私たち は 気の つかない よ うな 小さな、 捕え どころ のない ような ことから 推論し て 話して くれる のであった。 探偵 はやが て、 いそいで、 例の 案内係り のボ— ィを さがしに 出かけて いったので、 ホ ー ムズと 私と は 朝飯 をた ベ に ブルックス トリ ー トに 帰つ て 来た。 「僕 は 三時までに は 帰つ て 来る」 ホ —,. if スは 朝飯 をす ましてし まう とそう 云った。 「探偵と 医者と が、 たぶん 三時に は 僕たち をたず ねて 来る だろう。 僕 は それまでに、 まだ 少し 残って いる 小 さな 不明瞭な 個所 をす つ かり 調べ 上げて しまいた いん だ」 そして 彼 は 出かけて いった。 やがて 彼が 云った 三時に なると、 私たちの 訪問客 は ちゃんと やって来た。 しかし 私の 友達が 帰って来 たの は、 四時 二十 五分 前の ことだった。 —— 私 は 彼が 這 入って 来た 時、 彼の 表情 を 見て、 これ はすつ かりう ま くいつ たんだな、 とそう 思った。 「何 か 変った ことがありました かな、 探偵」 「例の ボ— ィを 捕え ましたよ」 「そり ァ素 適な 手柄です。 —— 私 はまた 例の 奴等の 正 体 を ひつ つかんで 来ました」 「何者 だか 分かつ たんです か」 私たち は みんな 一 時に 叫んだ。 「少 くも 奴等が 何者で あるかと 云う こと だけ は 内偵し て 来ました。 —— 私の 睨んだ 所に よると、 このい わ ゆ るブ レシ ント ン と 云う 男 も、 そ れ から ブ レ シン トン を 殺ろ した 男 も、 共に 探偵 本部で はよ く 知られて いる 男 だつ たんです。 —— 奴等の 名前 は、 ビッ ドルと ヘイ ヮ ー ド、 それから モ ー フ アット、 とこの 三人です」 「ああ、 それじゃ、 あの ゥォ ー シン トン 銀行 事件の 発 頭 人じゃありません か」 探偵 は 叫んだ。 「その 通りなん です」 ホ— ムズは 云った。 「そうすると ブレ シン トン はシ ュ ゥ トンに 違い ありま せんね」 「そうなんで すよ」 ホ— ムズは 答えた。 「また どうして あなた は、 まるで 鏡に 写し出す ように ハ ッ キリ それが お分かりに なつたん です?」 探偵 は 云った。 しかし トレベリアンと 私と は、 何が何だか 分からな いのでお 互いに 目 を 見合って いるば かりだった。 「諸君 は、 例の ゥォ ー シン トン 銀行 事件と 云う の を 知ってい るだろう」 とホ— ムズは 云った。 「あの 事件の 中には 五 人の 人物が いる。 すなわち 今 いった 四 人と、 それから 五 人目の 男 は 力— トラ イトと 云つ たんだ。 トビンと 云う その 銀行 の 留守番 を 殺 ろ し て、 七 千磅を 奪って 逃たん だが、 それ は 一 八 七 五 年の こと だつ たんです。 ほどなく 五 人の もの は みんな 捕 まったんで すが、 相 憎な ことに 証拠が すこぶる 不充分 だった。 ところが この ブレ シン トンすな わち シ ュ ゥト ン なる 男が、 この 男が まあ 一 番悪 がし こかった わけな ん でしよう が、 たちまち 寝返って 密告し ちまつ たんで す。 そこで ブレ シン ト ン の 密告 の おかげ で 力— トライ ト はとうとう 主謀者と 云う ので 死刑に され、 他の 四 人 の もの は それぞれ 十五 年間ず つの 刑 を 着せられ たわけ です。 —— が、 やがて それらの もの も、 各々 特赦な ど に 会って、 十五 年た たない うちに また 社会へ 出て 来る ことにな つたわけ です。 そこで 彼等 は、 自分た ち を 売って 刑 を 着せたり、 また 仲間の 一人 を 死刑に してし まった リ した 男に、 復謦 をしょう と 計画した わけなん です。 —— 彼等 は 二度 計画して、 二度と も 失敗し たん です。 そして 三度 目に ようやく 成功した わけなの です _ と、 まあ 以上の ような わけなん です けれど、 まだ どこかお 分かりに ならない 所があります から、 トレべ リ アン 博士」 「いえ、 実によ く 分かりました」 と 医者 は 答えた。 「そう 云えば 思い出します。 彼等が 助か つ てまた 社会 へ 出て 来たと 云う 記事が 新聞へ 出た 日、 彼 は ひどく 神 経 をいた めて いました」 「そうでしょう。 —— ですから 彼が 起こした 強盗 騒ぎ なんか、 みんな 噓 なんです よ」 「けれど、 どうして 彼 は それ を 打ち あけな かったんで しょう?」 「それ はなんで すよ、 自分の 昔の 仲間が どんなに 復謦 心が 強い かと 云う こと をよ く 知ってい たんで、 出来る だけ 長く、 誰から も 自分の 正体 を かくして おきた かつ たんでしょう。 —— それに 彼の その 秘密 は 実際 破廉恥 な ものです からね、 それ を 漏らす 元気 はな かったんで すよ。 —— しかし こうして 彼が 殺ろ されて みると、 彼 は 英国の 法律に よって 保護され て 生きて いた 人間なん ですから、 よし 一 度 は その 保護の 盾 を 破られて 殺され たと は 云え、 英国の 正義の 剣 は、 彼のた めに 正当な 仇 を 報じて やらなくて はなり ますまい、 ねえ 探偵」 以上の 話が、 ブルック • ス トリ— トの 医者と その 家 の 入院患者 とに 関係した 事件の あらまし である。 その 夜から 三人の 殺人犯 は、 官憲に よって 探索され た が、 なかなかつ かまらなかった。 が、 やがて、 彼等が ノラ • クリ ー ナ 号と 云う ボロボ 口の 船の 乗客の 間に ま じって、 スコットランドの 波止場に 上陸した 時、 とう ぜん とう 捕えられて しまった。 その 船 はつい 二三 年 前、 ォ まいる ポル トウの 北方 数哩 の ポルトガルの 沖合いで 沈んで しまった。 —— それから 例の 案内係の ボ— ィは、 証拠 不充分と 云う ので 放免され た。 すなわち これが いわ ゆ る 『ブルック • ス トリ— トの 秘密』 として 有名な 事件 の あらまし なのであって、 今日まで まだ 公に 発表され たことの ない ものである。 底本: 「世界 探偵小説 全集 第三 卷 シャ— ロック- ホ— ムズの 記憶」 平凡 社 1930 (昭和 5) 年 2 月 5 日 発行 ※ 「旧字、 旧 仮名で 書かれた 作品 を、 現代 表記に あら ためる 際の 作業 指針」 に基づいて、 底本の 表記 を あら ためました。 その 際、 以下の 置き換え をお こない ました。 「恰も 丄 あたかも 貴方 丄 あなた 或る 丄 ある 如何 丄 いか 所謂 丄 いわゆる 於て 丄 おいて 恐らく ふお そらく 彼 ふか 返って ふかえ つて か 知ら ふかしら 難い i がたい かも 知れ ふか もしれ 位 i くらい、 ぐ らい 極く ふごく 即ち ふすな わち 是非 丄 ぜひ そ の 癖 ふその くせ 大分 ふだいぶ 沢山 ふたくさん 只 今— ただいま 忽ち i たちまち 度 ふたび 多分 ふた ぶん 給え ふた まえ 丁度 ふちょう ど て見丄 てみ で 見— でみ 疾うに— とうに 所が— ところが 所で ふところで 尚 ふなお 乍ら ふながら 害丄 はず 程 丄 ほど 殆ど 丄 ほとんど 亦 ふまた 迄 ふまで 勿論 丄 もちろん 余程 丄 よほど」 ※底本 は 総 ルビです が、 一 部 を 省きました。 ※底本 中、 混在して いる 「ペル シ ー」 「ペル シ ィ」、 「口 シァ」 「口 シャ」 は そのままに しました。 入力: 京都大学 電子 テク スト 研究会 入力 班 (畑 中智 江) 校正 : 京都大学 電子 テク スト 研究会 校正 班 (大久 保 ゆ う) 2 00 4年9月^^日作成 青空 文庫 作成 ファイル " この ファイル は、 インタ ー ネットの 図書館、 青空 文庫 (http://www.aozora.gr.jrv) で 作られました。 入力、 校正、 制作に あたった の は、 ボランティアの 皆さんで